男鹿市議会 2008-03-04 03月04日-02号 則任の第四子氏孝に後継ぎがなく、1107年、奥州藤原氏三代秀衡の第二子秀栄を養子に迎えて、福島城主となります。西側は十三湖に面し、安東水軍の軍船が常時70槽が駐留。海岸貿易や海上交易の要所として、蝦夷管領として威勢を誇っていました。 国立歴史民俗博物館が平成5年に行った本格的な十三湊遺跡発掘調査で、全国でも有数の中世港湾都市であることが裏づけられ、考古学研究者の注目を集めております。